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▼国分寺崖線裾野の湧水を集めて流れる野川の最源流「真姿の池湧水群」の観測日誌 ▼ガイド・観察日誌・トピックス・インフォ→構成は「サイトマップ」「真姿の泉TODAY index」参照

[トピックス-2]多摩川が残した水の風景 ブログトップ

姿見の池のカワセミ [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

連休三日目の最後の日、久々に姿見の池に散歩に行きました。
武蔵国分寺公園の武蔵の池にはカワセミの姿は見えず。
中央線線路の北側の姿見の池まで足を伸ばすと、池の上にかかった遊歩道には立派なカメラを構えたおじさまたちが数人。

お、いるのね!

カメラの向いている先に目をやると、いました!
カワセミ2羽、オスとメスだそうです。もう一羽も藪の中にいるのだとか。

この池(姿見の池)はもともと湧き水の池で、野川源流のひとつですが、現在は、武蔵野線のトンネル湧水を、復元した恋ヶ窪用水の引き込み、この池へと流れ込んでいます。
池自体の湧水はほとんど涸渇したといわれていますが、このカワセミがとまっているあたりからわずかながら湧いているようです。

20121007カワセミ3.JPG

20121007カワセミ4.JPG

https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=209034449435831426938.00045858c7f4b8dd6515b&msa=0&iwloc=0004586570c9f75bf0bd8


より大きな地図で 国分寺崖線の湧水と史跡(野川源流域・国分寺市) を表示

ご参考
真姿の泉 TODAY ~野川源流・真姿の池湧水観測~
[ガイド-1]真姿の池はこんな所・エリアマップ
http://masugata.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300334516-1
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昭和初期の殿ヶ谷戸庭園(旧岩崎別荘)東側ハケ下の写真 [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

きょう(11/7)開催の国分寺まつりの商工会ブ-スで、昭和初期の殿ヶ谷戸庭園(旧岩崎別荘)東側ハケ下の写真が展示されていました。展示されていた写真を、携帯カメラで撮影しました。

20101107旧国分寺街道(岩崎別荘東側).jpg

国分寺街道の旧道が今も殿ヶ谷戸庭園東側に残っていますが、この旧道は殿ヶ谷戸谷(とのがやとだに)の谷筋の道で、殿ヶ谷戸谷は古多摩川の旧河道と考えられています。
旧道の東側一体は大きな池状の湿地帯になっていたことがわかります。今は住宅地になっていますが、現地で地形をよく見ると、湿地帯だった場所は土地が一段低くなっていることがわかります。
まさに、古多摩川が残した水の風景です。

20101107現在の国分寺街道旧道.jpg

岩崎別邸東側地図.JPG
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矢川と矢川緑地(立川市 東京都緑地保全地域) [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

ちょっと古い資料ですが・・・。

2007年6月30日、「真姿の池湧水群整備工事第2回ワ-クショップ」において、矢川緑地(立川市 東京都緑地保全地域)とママ下湧水(国立市 東京の名湧水57選)の整備状況調査を行いました。
真姿の池湧水群整備工事に先立ち、改修工事のありかたを考えるワ-クショップに参加した市民と国分寺市ふるさと文化財課が、すでに整備されている近郊の湧水地の整備状況を調査したものです。

これをワードで作成した資料にまとめておいたものですが、このたび、so-netのブログはワードをそのままアップできるようになりました。

070630矢川 ママ下湧水整備調査(ワークショップ).doc

<矢川と矢川緑地の地図>

より大きな地図で 冬至・夏至方位線ネットワ-ク を表示

矢川と府中崖線の地図(クリックで拡大)
矢川と矢側緑地地図.GIF

<参考>
矢川水源
http://blog.goo.ne.jp/home-goo/e/f60a7ed7f78d8b0ef83fbe47c50433d7
写真は錦町五の第七小学校正門。矢川湿原に流れ
込んでいる矢川の水源は、かつてこのあたりにあ
った湧水池で、「井戸端」と呼ばれていた。
現在の矢川はほとんどが暗渠になってしまって、
みのわ通りの近くまで行かないと見る事が出来な
い。goo地図
七小の北に東西方向に通る道があるが、この下を
流れていると思われる。この道の一部には玉石で
造った石垣が見られる。耕地整理の時に造られた
護岸だそうだ。


参考サイト:国立の緑地(矢川、矢川緑地、ママ下湧水など国立と国立周辺の緑地の紹介)
http://cityofwoods.web.fc2.com/fuchu/kun/index.html
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浅間山から~水の聖地のちょっと面白い関係 [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

(以下は2009年3月21日の記事に写真等を加え、「多摩川が残した水の風景」に関する記事として再編集したものです。)

浅間山は、太古の多摩川が今の位置に落ち着く前、立川段丘面の上をあばれまわっていた時代に、一箇所だけ削り残したことによってできた小山だと言われています。
▼浅間山、西側からの遠景
090321-02浅間山遠景.JPG

090321-10浅間山説明看板.JPG

海抜標高は70~80m弱くらいで、周囲との標高差は30mほどしかありませんが、そこだけポコンと盛り上がっているので、武蔵野台地に建物がほとんどなかった時代にはさぞかし目立ったことでしょう。
今でも少し高いところ、たとえば国分寺の駅ビル8階の喫茶店の南向きの窓から見下ろすと、南東へのびる国分寺崖線の連なりと、南の多摩丘陵の連なりの間の平地に、そこだけポコンと盛り上がっているのがよくわかります。
▼浅間山絵図
090321-01浅間山地図.JPG

浅間山は3つの頂を持ち、一番西側が「前山」、一番東側が「堂山」、前山と堂山にはさまれた真ん中が「中山」です。府中の市街地から見ると、「前山」が前にあるので前山、その後ろの中山は低く、中山の北麓には湧水が湧き、「おみたらし」と呼ばれています。
▼おみたらし神社の鳥居
090321-13おみたらしの鳥居.JPG

▼木の根元から涌いています。
090321-14おみたらしの流れ.JPG

090321-15おみたらし石碑.JPG

一番東側の「堂山」が一番高くて、頂上には浅間神社が祀られています。
▼浅間神社
090321-09堂山山頂浅間神社.JPG

090321-11山頂.JPG

「前山」から富士山が見え、国土交通省の「関東の富士見百景」に選ばれています。
写真は春先の富士山が霞んで見える日の撮影なので、写真ではほとんどわからないかもしれませんが、中央の二つ並んだ背の高いビルの右側にかすかに見えています。
090321-03前山から富士山.JPG

私が浅間山に注目しているのは、真姿の池と浅間山のちょっと面白い位置関係です。
真姿の池から見て、冬至の太陽は浅間山の山頂の真下から登るのです。
そして浅間山から見て、冬至の太陽は富士山山頂の真下に沈み、その方位線上に武蔵国国造が祀られているという「坪宮(つぼのみや)」という小さな小さな謎に満ちた社があるのです。
▼坪宮
2009062坪の宮.jpg

「坪宮(つぼのみや)」は大国魂神社本殿の真西の崖下(府中崖線下)にあります。
大国魂神社の境外末社ですが、大国魂神社の例大祭「くらやみ祭り」でお神輿が賑やかに繰り出されるころ、神官が密かに坪宮に詣り、例大祭が執り行われることの報告をするという重要な宮です。しかし坪という名のとおり、あまりにも小さくて、その所在はほとんど知られていないお宮です。
「坪宮」は東を向いたお宮で、まっすぐ大国魂神社本殿に向いています。
その延長線上には、府中の古い神社やお寺がいくつか並び、深大寺の深沙大王堂あたりに到達します。

そして、「真姿の池」と「武蔵国分寺七重の塔」と、この「坪宮」は、正南北に一直線に並んでいます。
その南北ラインをさらに南に伸ばすと、多摩丘陵の一番高い地点付近に到達します。
深大寺の深沙大王堂から見ると、多摩丘陵の最高部の真下に冬至の太陽が沈みます。

古代から、神社仏閣など聖域として祀られてきた場所というのは、こういう位置関係が成立する場所が特に選ばれて、特別な聖域とみなされてきたのでしょうね。そして、こうした古刹には必ずと言っていいほど湧き水がくっついています。武蔵国の国造や国府は、こうした位置関係の中心に置かれたのではないでしょうか。
奈良の三輪山を中心とした、いわゆる「レイライン」が有名ですが、同じようなものが、この武蔵国の多摩川流域にもあるのです。

さて、浅間山の富士見ポイントからは、富士山の手前に府中の市街地が広がっています。

南は多摩丘陵まで見渡せます。
090321-05前山から多摩丘陵方面.JPG

北西から北側には国分寺崖線の連なりが見通せます。
▼前山から真姿の池方面を望む
090321-04前山から真姿方面.JPG

▼堂山山頂からも真姿の池方面が見渡せる
090321-12堂山山頂から真姿方面.JPG

この浅間山が古代の測量の拠点になっていたことは間違いないだろうと感じます。
別名、人見山。なるほど、よく言ったものです。
▼人見の地名について
090321-06人見の地名.JPG

▼人見山(浅間山)絵図.
090321-08人見山絵図.JPG

▼明治初期の地名
090321-07明治初期の地名.JPG

ちなみに、浅間山のすぐ西側は、航空自衛隊の基地と、航空自衛隊航空総隊司令部があって、高い塔だの、巨大なパラボラアンテナ(レ-ダ-?)みたいなモノモノしい物体が木立の間から見えました。ここは古代からずっと、そういう場所だったのでしょうかね。

古代の測量は鏡の反射を利用したのではないかと言われていますが、多摩丘陵の南斜面の連光寺から、浅川を越えた日野の南向き斜面に向かっても、冬至・夏至の日出・日没方位線に沿って神社仏閣が直線的に並んでいるのが見受けられます。
山の尾根付近に建っているものもあれば、谷間に建っているものもあって、鏡の反射がリレ-されていったのでしょうか。まさに連光寺、山間に光が連なった光景を想像してしまいます。

このテ-マは時間をかけて少しずつ、レポ-トして行きたいと思っています。
とりあえず、レイラインマップの骨組みを作ってみましたので、未完成ですがアップしておきます。

古多摩川が残した「水の聖地」を結ぶ冬至・夏至方位線ネットワ-ク
大きな地図で見る

別のウインドウで地図を見る:
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117806467916842607597.0004656cac53b18675c6c&source=embed&ll=35.667896,139.471779&spn=0.097622,0.145912&z=12

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ちなみに、古街道研究家で歴史ルポライターの宮田太郎さんも、連光寺が古代の測量拠点だったという仮説をお持ちのようです。
http://www.tamalife.co.jp/02_event/2006012.html
武蔵野大展望!連光寺桜馬場道と天王の森・夕陽の丘の古道を歩く
多摩丘陵の連光寺という地名は吾妻鏡に記載されていますが、その名の寺は現在なく由来は不明です。素盞鳴尊を祭る天王の森・八坂神社は多摩市最高地点にあり、かつては新東京百景にも選ばれた景勝地。遠く狭山丘陵の八国山将軍塚の真南にあたり、双方で測量をして古代東山道武蔵路や古代東海道が造られたという仮説をお話します。


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深大寺の水の風景(2009年9月21日) [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

深大寺を訪れたはっきりとした記憶があるのは、40数年前の真夏、まだ小学生のころで、その後もおそらく1~2度訪れているのだとは思うが、40数年前の記憶が強烈なのは、湧き水があまりにも冷たかったからだ。
裸足になって水路に足をひたすと、脳天まで痺れるほどの冷たさだった。

その後、水路は蓋がされて暗渠になっていた時代があったと聞く。今回訪れてみると、水路が復活していたが、昔の水路はもっと浅くて狭かったような気がする。
真姿の池湧水も、現在は脳天が痺れるほどの冷たさはない。40年前よりは、湧水の温度が2度ばかり上がっているようで、今回も水路に手を入れてみると、真姿の池湧水と同じような温度で、さほど冷たさは感じなかった。

今回深大寺を訪れた一番の目的は、深沙大王堂とその裏手の湧水地を見ること、そして深大寺東側の青渭(あおい)神社がどのような神社なのかを見ること、そして周辺の谷戸の入り組んだ地形を実感することだった。

三鷹から深大寺行きの小田急バスに乗り、深大寺入り口で下車。
深大寺境内の一番西側の深沙大王堂から順に東へと見てゆくことにしたが、まずは境内で見つけた3種類の絵地図を載せておこう。地図コレクターの私は、こういうものが興味深い。

■境内の絵地図
▼こういう地形の高低が表現されている地図はありがたい。
090921-01深大寺絵地図-1.JPG

▼絵地図の横にあった年表。
浮岳山深大寺、開山は天平5年(733年)だというから、官寺だった武蔵国分寺よりも古い。もちろん、それよりはるか以前の太古から、この場所は聖地とみなされていたに違いないが。
090921-02深大寺絵地図-1年表.JPG

090921-03深大寺絵地図-2.JPG

090921-04深大寺絵地図-3.JPG

■西側エリア 深沙大王堂付近
▼深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)
深大寺の寺名は、湧水の豊富なこの地に祀られていた水神の深沙大王(じんじゃだいおう)にちなむ。
深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)は、深大寺の西端域(本堂などのある寺地の中心より西に一町約120mほど離れたところ)に建つ境内社で、水神を祀る鎮守社(ちんじゅしゃ)。堂の背後には、この地の水源であり、深大寺の発祥にかかわる泉がある。
明治の神仏分離の際に旧堂は破却されたが、1968(昭和43)年に現在の大王堂が再建され、宮殿(くうでん)は本尊の深沙大王像とともに元三(がんざん)大師堂から旧地に復した。
深大寺の寺名の由来である深沙大王(深沙大将)は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が天竺(てんじく)へ赴く途中、流沙の中に現れて玄奘を守護したといわれ、多聞天(たもんてん)の化身とされている。図像として描かれることはあるが、彫刻の遺品は少ない。
深大寺の寺号はこれに由来し、今、深沙堂に祀られる像は、高さ57㎝ほど、どくろの胸飾りをつけ、象皮の袴をはいて盆怒(ふんぬ)の形相すさまじい鎌倉時代の優作だが、秘仏として、長いあいだ拝されたことがなく、今も厳重な秘仏であることに変わりはない。
090921-05深沙大王堂.JPG

▼深沙大王堂内宮殿解説
090921-06深沙大王堂内宮殿解説.JPG

▼深沙大王堂裏の湧水地(水源の方向を望む)
崖(国分寺崖線)の裾から湧出している。湧出している箇所は確認できなかったが、池の東側から湧出して西側に流れ、先で流れが東方向にかわるらしい。それで「さかさ川」という名がついているらしいのだが、この深沙大王堂裏の湧水地が「さかさ川」の水源となっている。石仏は不動明王。
090921-07深沙大王堂裏の湧水池-1.JPG

▼深沙大王堂裏の湧水地(下流側)
090921-08深沙大王堂裏の湧水池-2.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が深沙大王堂と裏の湧水地付近
ちょうど標高50あたりの崖裾から湧出していることがわかる。
深大寺付近の地形図-深沙大王堂.GIF

■中央エリア 本堂・元三大師堂付近
▼亀島弁財天池
090921-09深大寺亀島弁財天池.JPG

▼山門脇の滝(不動の滝)
深大寺はかつては豊かな湧水で滝行も行われていたというが、現在、この不動の滝は補水をしているとか。
090921-10深大寺山門横の滝.JPG

▼山門
090921-11深大寺山門.JPG

▼本堂
深大寺:天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺。浮岳とは、遥か遠く山が浮かんで見える様。天平5年(733)、満功(まんくう)上人による創建と伝えられ、武蔵野では最も古い寺。境内のいたるところに水路や池があり、水に囲まれた名刹。
本堂は大正8年に再建、平成15年に改修。本尊は阿弥陀如来。
090921-12深大寺本堂.JPG

▼深大寺の由来~縁結びの寺~
深大寺という名は,水神の深沙大王に由来しており,奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山したといわれています。深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると,満功上人の父福満とある豪族の美しい娘が恋に落ちましたが,娘の両親の反対にあい二人は仲をさかれ,娘は湖の小島に隔離されてしまいました。そこで,福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて行きました。このことを知って娘の両親も二人の仲を許し,そして生まれたのが満功上人です。上人は父の深沙大王を祀ってほしいという願いによって出家し法相宗を学び,733年に寺を建てました。それが,深大寺であると縁起は伝えています。そんな「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語により,深大寺は縁結びの寺としても有名になっています。
(参考:谷玄昭「住職がつづるとっておき深大寺物語」)

▼なんじゃもんじゃの木
その地方に珍しい樹種や巨木のことを指して、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるのだそう。深大寺のなんじゃもんじゃの木はヒトツバタゴ(モクセイ科)。
090921-13なんじゃもんじゃの木.JPG

▼井戸が手水舎になっている
090921-14井戸.JPG

▼五大尊池
本堂と、隣の元三大師堂の間に池があり、お堂の裏に迫っている崖肌の上から音をたてて滝が流れ落ちている。崖の上から水が湧くはずはないので、滝はおそらく人工的にポンプアップしたものだろう。
池に直接湧出しているのかどうかは不明。
090921-15五大尊池.JPG

▼元三大師堂
慈恵大師像(慈恵大師の自刻といわれる)が安置されている。
090921-16深大寺元三大師堂.JPG

▼元三大師堂前の石仏
これはいったい何?悪魔のキャラクターみたいで、なぜこんなものがこんなところに?
調べてみると、元三大師降魔札(玄関の内側に張って厄除けをする)の絵柄だそう。つまり、元三大師(慈恵大師)そのもの、ということ。
慈恵大師は永観3年(985)の正月三日に遷化されたので元三大師と呼ばれ、「慈恵」の諡号(しごう)を賜わったのだとか。
数々の霊験や説話が残されており、降魔大師・魔除大師・角大師・豆大師など霊験ある聖者・元三大師として信仰を集めている。角大師は厄災を降伏させる恐ろしい形相の護符である。 また、豆大師は小さな大師の姿が豆粒のように9段33個並べられているお札である。
疫病が流行していた永観2(984)年、元三大師は鏡の前で座禅をし、自らの姿を骨ばかりの鬼に変え、その姿を写した弟子の絵を、お札に刷って家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させた、という。
自ら鬼となって魔物と闘うので、降魔大師の名がある。「おみくじ」を最初に考案した人でもある。
090921-17深大寺元三大師堂前の石仏.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が本堂、元三大師堂付近
深大寺付近の地形図-本堂と元三大師堂.GIF

▼開山堂(崖上)
元三大師堂裏の崖の真上に位置する。本堂と元三大師堂の間の滝を確認したくてあがってみた。滝自体は見えなかったが、開山堂のそばの崖のふちに水道のバルブなどがあったので、滝はやはりポンプアップしているもののようだ。
090921-18開山堂.JPG

■東側エリア 不動堂・多聞院坂・青渭神社
▼不動堂東側の滝
090921-19不動堂.JPG

▼多聞院坂
090921-20多聞坂.JPG

▼多聞院坂をあがって右手に折れるとゆるやかな下り坂。坂沿いの左手が青渭神社だ。
境内にはいると、まず大ケヤキに驚かされる。
090921-21青渭神社の大ケヤキ.JPG

▼青渭神社の大ケヤキ解説
090921-22青渭神社の大ケヤキ解説.JPG

▼青渭神社の石の鳥居
階段を上がったところに社がある。
090921-23青渭神社鳥居.JPG

▼鳥居の中央に龍の彫刻
090921-24青渭神社鳥居-2.JPG

▼手水舎
手水舎を4人の力持ちが担ぎ上げている。
090921-25青渭神社手水舎-1.JPG

090921-26青渭神社手水舎-2.JPG

▼青渭神社由緒
社の裏に湧水があるのではないかと思ったが、崖になっているわけではなく、湧水の湧く地形ではない。どこかに必ず湧水地があるはずだと思いながら由緒を読むと、かつては社の前に5町歩あまりの境内地があり、湧水がこんこんと湧いていたという。道路を挟んだ東側は都立農業高校神代農場となっており、柵越しに中をのぞいてみると、深い谷戸になっていた。地形図で見ると、東から南にまわるように谷戸が伸びている。
090921-27青渭神社由緒.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が青渭神社・都立農業高校神代農場
深大寺付近の地形図-青渭神社.GIF

■南側エリア 水生植物園(神代植物園分園)
▼水生植物園にはいると、目の前に谷戸が開けた。
右側(東側)のこんもりした森は独立した丘になっており、深大寺城跡だそうだ。
090921-28水生植物園-1.JPG

▼谷戸地形全体が湿地帯になっている。
090921-29水生植物園-2.JPG

090921-30水生植物園-3.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が水生植物園付近
深大寺付近の地形図-水生植物園.GIF

▼白い彼岸花
090921-31水生植物園白い彼岸花.JPG

▼彼岸花が群生している
090921-32水生植物園彼岸花.JPG

▼睡蓮が一輪だけ咲いていた
090921-33水生植物園睡蓮.JPG
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