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49報~頑張れ、志津川の信ちゃん!記録し続ける南三陸町地元カメラマン佐藤信一(2011.4.6) [東京・国分寺市から~東日本大震災ルポ]

追加:2011年4月5日(火)東京新聞朝刊、1面と23面の記事の切り抜きをアップしました。(2011.4.7)
1面:庁舎のむ大津波 宮城・南三陸写真館主撮影
23面:町のすべて撮る 南三陸の写真館店主 惨状4700枚記録
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今朝のフジテレビ「とくダネ!」(小倉智昭さんの番組)で、南三陸町の防災庁舎などが津波に飲まれていく写真を撮影した、地元写真スタジオ店主、佐藤信一が紹介されました。

今朝、偶然この番組を見ていて、あ、志津川の信ちゃんだ!

この写真を撮影した佐藤信一は、私の従兄弟です。
「志津川の信ちゃん」と呼んでいます。
南三陸町志津川で父親(叔母のつれあい)の代から写真スタジオを営んでおりました。

津波から5日間ほど消息が掴めず、家も写真館も完全に流されているのを報道の航空写真で見て、もう生きてはいまいと思ったのですが、信ちゃん一家は全員避難して、命は無事でした。
叔母は地震の直後、おたふく風邪で寝ていた小学生の孫を背負い、最初に行った避難所には足まで水が来て、孫を背負ったまま、道のない土手を高台まで駆け上がったと、別の叔父から聞いています。

家と写真館はあとかたもありませんが、信ちゃんが避難の際、カメラを持ち出し、津波を撮影したということも聞いていました。
今、役場の人と協力して、被災地の写真を撮り続けているとも聞いていました。

その信ちゃんが、今朝のフジテレビ「とくダネ!」(小倉智昭さんの番組)で紹介されました。
信ちゃんの写真を、そして奮闘する信ちゃんの姿を、小倉智昭さんの番組で始めて見ました。
信ちゃんはこんな風に語っていました。

津波を撮影している間は冷静だったが、翌日、画像をみてゾッとした。
被災地の様子は、とてもカメラを向けられないと思うが、町の人に撮り続けてと励まされながら記録し続けている。

信ちゃんは、10年後、20年後の復興を見据えながら撮影をし、すでに4000枚の写真を撮ったそうです。
信ちゃんの写真の撮り方は、瓦礫をアップで撮るのではなく、遠景の山や岬の形が写りこむように撮っている。山や岬の形で、この場所がどこなのかわかるように撮っている。10年後、20年後、この町が復興した時、写真の場所がどう変わってきたのかがわかるように撮っている。
そのことを、小倉さんの番組がきちんと伝えてくれたことに感銘を受けました。

これは、地元のカメラマンにしか撮れない写真です。
外から入ってきた報道カメラマンは、どうしても衝撃的な映像をアップで撮ってしまう。
そのために、そこが何処であるのかがわからない。
どんなに目をこらして見ても、一瞬写った背景はあっという間に消えて、衝撃的なモノへのアップへと切り替わってしまう。
私はテレビを見ながら、「背景を写して」と何度叫んだかわかりません。
信ちゃんは、今、背景を写しこんだ写真を撮り続けています。
それを、町が復興するまで、記録し続けようとしています。

そして、志津川小学校の卒業式で、子どもたちに声をかけながら集合写真を撮っている信ちゃんの姿もテレビに映し出されました。
10年後、20年後、この町を担う子どもたちを、信ちゃんは大声で励まし続けています。

「とくダネ!」を見たあと、インターネットで関連情報を探していたら、小倉智昭さんの公式ブログに、昨日(4/5)の東京新聞に、信ちゃんの写真が載ったと書いてありました。

小倉智昭公式ブログ:
http://www.og-land.com/blog/
2011年4月5日「貴重な記録写真」:
http://www.og-land.com/blog/index.php?act=com&res=1301972459-248471®ist_type=1

2011年4月5日(火)東京新聞朝刊、1面と23面の記事の切り抜き
(東京新聞はWEB版が見られないので、切り抜きをアップさせていただきます)
1面:庁舎のむ大津波 宮城・南三陸写真館主撮影
20110405東京新聞1面佐藤真一.JPG

23面:町のすべて撮る 南三陸の写真館店主 惨状4700枚記録
20110405東京新聞23面佐藤真一.JPG


さて、今私は、信一一家の家(写真館)が、グーグルのストリートビューに写っているのを見つけ、この画像を保存し、印刷したものを信ちゃんに送ろうと思っています。
写真館には、町の人々やいろいろな場所の写真やその原版があったはずですが、すべて流されてしまいました。
町役場も流されているので、町を記録した画像は、何もかもなくなってしまいました。

今その画像は、グーグルのストリートビューにしかありません。
そこで、グーグルに対して、被災地の被災前のストリートビューを保存するように要請する取り組みをはじめました。
グーグルの航空写真は、すでに津波の後のものに差しかわっています。
ストリートビューも、道路の復旧にともない、いつ新しいものに差しかわるとも限りません。

私の阪神大震災での被災経験からも、瓦礫が撤去されてしまうと、もう、どこに何があったのか、誰がどこにいたのか、すっかりわからなくなってしまうのです。
そうなった時、人間は自分が過去と繋がっている感覚がなくなっていきます。
震災前の町の記録と記憶をとどめることが、必ず、復興へのエネルギーになると思っています。

この取り組みについてと、多くの人に協力をお願いする記事を下記に載せてあります。

呼びかけ~津波被災地の航空写真とストリートビューを保存するようGoogleへの要請にご協力ください(2011.3.31):
http://masugata.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31-1

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rtfk

こちらの地方紙(中国新聞)には佐藤さんご自身の写真と
震災時に撮影された写真がたくさん掲載されておりました。

by rtfk (2011-04-06 16:21) 

お水番

rtfk さん、中国新聞にも載ったのですね。情報、ありがとうございます。
私のほうも、東京新聞を人からもらい受けました。
切り抜きをアップしたいと思います。
by お水番 (2011-04-06 22:45) 

r-14schon

佐藤さんの使命感、決意の強さに、自分にはとてもかなわない大きさを感じます。大変不謹慎な言い方とは存じますが、嫉妬にも似たうらやましささえ感じます。人を突き動かすもの、南三陸町の今を少しでも見ておきたいのですが、現地は今、ボランティアでもないよそ者が入って町を見て歩くことが可能な状況かどうかお分かりになりますでしょうか。佐藤さんから、その辺の事情をうかがっていただけませんでしょうか。今、現地を見ないと、将来、この震災が何だったのか自分自身の中で消化できないのではないかと思っております。当方、不惑とは名ばかりの45歳です。
by r-14schon (2011-04-07 16:12) 

Julia

名古屋の中日新聞で、この写真を見ました。
お水番さんの従兄弟さんの写真だったんですね。
16分の間に街の殆どをのみ込んでいった津波の恐ろしさを、再認識しました。
同時に、津波直前の街の様子を記録することによって、街の復興再建に役立つと思いました。長年あった建物でも、取り壊されて空き地になると、「此処って、何があったんだっけ?」って思うことがよくあります。記録が残っている事によって、記憶がより鮮明になります。
貴重な資料だと思います。
by Julia (2011-04-07 17:27) 

お水番

r-14schon さん、「ボランティアでもないよそ者が入って町を見て歩くことが可能な状況かどうか」は、従兄弟に聞いても、良いとも悪いとも、答えられないのではないでしょうか。そのことは、たぶん、誰にもわからないと思います。
by お水番 (2011-04-07 22:12) 

お水番

Juliaさん、東京新聞は、昔の「都新聞」だったそうですが、今は中日新聞と同系列のようですね。
被災地では今、従兄弟に限らず、たくさんの人がそれぞれのやり方で、記録をとっているのだと思います。
とにかく、そうせずにはいられない。阪神大震災の時、私もそうでした。とにかく毎日、ノートにいろんなことを書き続けました。でも、私には、ただの一枚の写真も撮れませんでした。カメラマンではない私には、人にもモノにもカメラは向けられなかった。
従兄弟も、カメラを向けることに葛藤はあるに違いないと思います。でも、みんなが「なんとしてもこれを記録しておいてくれ」と背中を押している。
それでようやくシャッターが切れるのだと思います。

by お水番 (2011-04-07 22:33) 

r-14schon

・・・そうですね。ものすごい大変なことが起きているのに、被災していない自分にとってそれは、テレビやネットの世界の出来事のような気がして。現実感がないなかで、漠然とした喪失感に包まれている、そんな感じがしています。現場に立てば何かがはっきりする、そんな“自己チュー”な動機で現地にいっていいものかどうか・・・ついうかがってしまいました。失礼いたしました。ありがとうございました。
by r-14schon (2011-04-07 23:20) 

お水番

r-14schonさん、おはようございます。昨夜の地震では大丈夫でしたか?
この悪夢のような出来事は、現場に行ってみないとわからない。そう思うお気持ちはとてもよく理解できます。私も今、東京にいて、本当にいてもたってもいられない気持ちです。

私は、阪神淡路大震災で被災しました。テレビの映像や新聞の写真など報道で見る映像と「現場」は全く違います。私はあの時、「テレビは何も映せない」と思いました。ただの一枚の写真も撮らなかったのは、とてもカメラを向けられないという思いだけではなく、「写しても本当のことは何も映らない」という思いがあったからです。

映像や画像は、ひとつのアングルを切り取るだけです。でも現場は360度、地獄絵です。
そして、画像にないのは「臭い」です。
絶えず続く「余震」です。昼となく夜となく、絶え間なく聞こえるヘリコプタ-や重機の「轟音」です。

テレビで見る被災地は、見る側にとっては一種の「バ-チャル世界」でしかない。
それは、現場に行かないとわからない。
でも、相当な覚悟をもって行かない限り、いえ相当の覚悟を持って行ったとしても、中にはいれば必ず「被災」します。
昨夜の巨大余震のように、いつ大きな地震がくるとも限らない。
世の中、復興復興というけれど、今は「災害後」ではなく、「震災」は今も進行しているのです。

被災しながら働いているのは、私の従兄弟ばかりじゃありません。
被災者は「座って救援を待っている人」ではないのです。
被災地の外へ避難することは、しようと思えば今すぐにでもできる。
でも、そこにとどまっているのは、ここで死ぬかもしれない、その覚悟があるからです。

災害で多くの隣人や家族の命が奪われ、その中で生き残った人々は、精神的な死の中にいるのです。
肉体は「あの世」へは行かなかったけれど、心は「この世」にはないのです。
復興とは、瓦礫が片付けられ、ライフラインが復旧し、都市計画の線引きがされ、あたらしい建物が建っていくことだけではありません。
被災した人たちの「心」が、あの世からこの世へと、ゆっくり戻ってくる過程なのです。
いえ、現実には、本当に心がこの世に戻れるのかどうか、どこへ行こうとしているのか、それは誰にもわからない。

多くの命が失われた町の復興とは、生き残った人たちが、死んだ人の魂を連れて帰る場所を作ること。
だからこそ、自分たちがこれから何処へゆくのか、これを記録しておかなければ、と思うのです。

そこに行けば、きっとその何分の一かは分かると思います。
でも、この震災が何だったのか、消化するために行くのなら、ますます消化できなくなるだけです。
災害を消化することなんて、誰にもできないと私は思います。


by お水番 (2011-04-08 08:22) 

komekome

防災庁舎の屋上に、いまだ安否がわからない友人のお兄さん(役場職員)が写っているのでは・・・という情報からこちらの記事を見つけました。
悔しいけれど何も無くなって、わからない中で
こうした手がかりが、とてもとても大切に思えます。
by komekome (2011-04-10 10:10) 

お水番

komekomeさん、心中お察し申し上げます。
この衝撃的な写真は、テレビで放映され、東京新聞だけでなく、中日新聞や中国新聞など、いくつかの地方紙にも掲載されましたが、新聞社はウェブ上には公開していないようです。
単に新聞記事の切り抜きをブログに載せたということだけでは済まされない重みを感じています。
私自身も、防災庁舎の向こうに写っている病院の中にいた遠い親戚を亡くしましたが、防災庁舎の上にいて行方がわからない職員さんのお身内やお知り合いがどう受け止められるのか、考えると怖いです。




by お水番 (2011-04-10 11:40) 

TS

私は佐藤君とは東京写真専門学校時代 同じ寮であり大の親友でした。
この度の事は 本当に言葉を失い mixiやツイッターで安否情報を集めました。
1週間後位に無事を確認でき その後 本人とも連絡が取れて
最小限ですが物資も送りました。

昨日 テレビを見ていたら佐藤君が出ていて 震災当日から半年間
撮り続けた写真で写真集を出したそうです。

日本文芸社発売 佐藤信一著『南三陸から 2011.3.11~2011.9.11』
税別価格1500円のうち300円が南三陸町に寄付されると言う事です。
書店での取り寄せが可能だと言う事なので 私も早速 注文いたしました。

遠く広島の力でも 微力ですが力になれるよう頑張って行きたいです。
長々と失礼致しました。
by TS (2011-09-28 08:14) 

お水番

TS様、コメントありがとうございます。
私は信ちゃんの母親(私の父の妹)に子どものころ、大変世話になり、津波の直後は消息がわからなくて、本当に心配しました。
無事とわかったのは、やはり1週間後でした。

写真集の情報、ありがとうございます。
さっそく注文いたします。
12月に東北復興応援コンサ-トをやりますので、そこでも宣伝したいと思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
by お水番 (2011-10-03 22:15) 

komekome

登米市に避難している方から送っていただきました。
日本文芸社発売 佐藤信一著『南三陸から 2011.3.11~2011.9.11』

当日、津波が来る直前の、美しい南三陸町の写真から始まります。
一般の報道写真とは違う、本当の悲しみと力強さを感じます。
祈りが込められているといったらいいのでしょうか。
これからも撮り続けて
これからはうれしい写真が増えていきますように・・・


by komekome (2011-10-05 12:31) 

お水番

komekomeさん、再びのご訪問、ありがとうございます。
写真集、もう手にされたのですね。
東京で信一氏の写真展・講演会があった時、会いに行きました。
津波の時、カメラを向けてよいものだろうかという思いと戦いながら、残さねばの一心でシャッターをきり続けたと、信一氏が話すのを聞きました。
被災の写真と一緒に、被災前の、一面のひまわり畑の写真も展示されていました。
平穏な日々が戻るまで、撮り続けてほしいですね。
そして、そういう日が来ることを、私も祈っています。
by お水番 (2011-10-05 18:54) 

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