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旧四小跡地東山道保存・整備計画2月の図面とその後の変更 [[トピックス-3]歴史・文化財をめぐる風景]

東山道武蔵路の保存・整備計画図面の変遷をたどってみましょう。

今回、7月と8月に行われた実施設計素案の市民説明会以前に、今年2010年1月31日と2月1日に、「旧市立第四小学校跡地に所在する古代東山道遺構の保存・活用整備計画」中間報告市民説明会が開催されていました。
http://masugata.blog.so-net.ne.jp/2010-01-30

私はこの時に説明会には出ることができなかったのですが、国分寺市教育委員会が2010年2月にまとめた「旧市立第四小学校跡地に所在する古代東山道遺構の保存・活用整備計画」を、国分寺市のホームページから見ることができます。

市ホームページ 旧第四小学校跡地に所在する古代東山道遺構の保存・活用整備計画:
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/keikaku/4186/011075.html

旧第四小学校跡地に所在する 古代東山道遺構の保存・活用整備計画(pdf)
(平成22年2月国分寺市教育委員会):
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/dbps_data/_material_/localhost/700000/s703000/TosandoSeibikeikaku.pdf

その2月の時点での計画図面をアップします。
2月の図面と7月の図面の比較、7月の図面と8月の図面の比較も載せておきます。

■2月の図面(旧四小跡地全体)
2010年2月の保存・活用整備計画図画像.jpg

2010年2月の保存・活用整備計画図.doc

■2月の図面拡大
●南側に植栽はあるが芝生はなく、全体がコンクリート平板またはインターロッキングブロックの貼り分け。
●第一期の溝がうすいオレンジ色、その後、道路が西側に少し移動した第三期の溝が薄茶色で表現されている。
●第三期の時代になって、第一期の溝にかかる場所に竪穴住居が建てられていたことを、色分けで表現してある。
2010年2月の保存・活用整備計画図画像拡大.jpg

2月図面拡大.doc

■2月の図面と7月の図面の比較
●大きくかわったのは、全体を覆っていたコンクリート平板またはインターロッキングブロックの貼り分けが取りやめになり、道路遺構・道路側溝跡部分と住居跡部分が弾性舗装(ゴムと砂を混ぜた素材)の色分けになった点。
●それ以外のところは芝生(草地)にして緑が多く確保された。
2月図面と7月図面の比較資料画像(畑中加工).JPG

2月図面と7月図面の比較資料(畑中加工).doc

■7月の図面と8月の図面の比較
●道路遺構が草地で、道路遺構の両側が弾性舗装というあべこべの表現に変更されたものが市民説明会で示された。
●芝生(草地)の配置が逆になっただけで、芝生(草地)の面積はたいして増えていない。夏場の照り返しの量はほとんど同じであり、公園としての快適性がよくなっているわけでもない。
●夏場、草地(芝生ではなく雑草地)にされた道路遺構の草丈が伸びれば、溝の表示も見えなくなる。何のための遺構整備なのだか全く本末転倒な上、公園としての使い勝手にも疑問。むしろ悪くなっている。
7月図面と8月図面の比較資料画像(畑中加工).jpg

7月図面と8月図面の比較資料(畑中加工).doc

以上、計画図面の変遷を見ていただきました。

今年2月の図面は、実寸代のジオラマ的な表現に徹しており、全体が舗装材で覆われているので、住宅地の中の公園としての居住性はどうなのかなあ、という気がします。
しかし、この地区一帯は他に公園がない場所ではなく、逆に公園だらけの場所です。福祉施設の東側道路を渡れば、新第四小学校のすぐ隣りに広大な都立武蔵国分寺公園の入り口があります。
公園の中に街があるような場所ですので、史跡公園は実寸代のジオラマでもよいのかなあという気もしていました。

ただ、私の希望としては、武蔵野の草原の中にどこまでもまっすぐに続く、幅12mの幹線道路が体感できるような整備がされれば最高だなあと思っていました。
7月に出てきた実施計画は、まさにそのとおりの表現がされていました。
市のやることには珍しく、といったら失礼でしょうけれど、これは快挙だなあと。
遺構表現も大事だけれど、住空間の一部としての快適性も大事。そのことをずっと言い続けてきましたが、まさにそのバランスが絶妙にとられた良い計画だと喜んでいました。

ところが今回の8月の実施計画では、今までの何もかもが無になるような、とんでもない計画変更です。
公園の中に街があるような地区に草地をひとつ増やし、肝心な遺跡が実感できないようなものをこしらえるとは、いったいどういうことなのかしら。

その裏に、いったい何があったのでしょう。


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