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▼国分寺崖線裾野の湧水を集めて流れる野川の最源流「真姿の池湧水群」の観測日誌 ▼ガイド・観察日誌・トピックス・インフォ→構成は「サイトマップ」「真姿の泉TODAY index」参照

浅間山から~水の聖地のちょっと面白い関係 [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

(以下は2009年3月21日の記事に写真等を加え、「多摩川が残した水の風景」に関する記事として再編集したものです。)

浅間山は、太古の多摩川が今の位置に落ち着く前、立川段丘面の上をあばれまわっていた時代に、一箇所だけ削り残したことによってできた小山だと言われています。
▼浅間山、西側からの遠景
090321-02浅間山遠景.JPG

090321-10浅間山説明看板.JPG

海抜標高は70~80m弱くらいで、周囲との標高差は30mほどしかありませんが、そこだけポコンと盛り上がっているので、武蔵野台地に建物がほとんどなかった時代にはさぞかし目立ったことでしょう。
今でも少し高いところ、たとえば国分寺の駅ビル8階の喫茶店の南向きの窓から見下ろすと、南東へのびる国分寺崖線の連なりと、南の多摩丘陵の連なりの間の平地に、そこだけポコンと盛り上がっているのがよくわかります。
▼浅間山絵図
090321-01浅間山地図.JPG

浅間山は3つの頂を持ち、一番西側が「前山」、一番東側が「堂山」、前山と堂山にはさまれた真ん中が「中山」です。府中の市街地から見ると、「前山」が前にあるので前山、その後ろの中山は低く、中山の北麓には湧水が湧き、「おみたらし」と呼ばれています。
▼おみたらし神社の鳥居
090321-13おみたらしの鳥居.JPG

▼木の根元から涌いています。
090321-14おみたらしの流れ.JPG

090321-15おみたらし石碑.JPG

一番東側の「堂山」が一番高くて、頂上には浅間神社が祀られています。
▼浅間神社
090321-09堂山山頂浅間神社.JPG

090321-11山頂.JPG

「前山」から富士山が見え、国土交通省の「関東の富士見百景」に選ばれています。
写真は春先の富士山が霞んで見える日の撮影なので、写真ではほとんどわからないかもしれませんが、中央の二つ並んだ背の高いビルの右側にかすかに見えています。
090321-03前山から富士山.JPG

私が浅間山に注目しているのは、真姿の池と浅間山のちょっと面白い位置関係です。
真姿の池から見て、冬至の太陽は浅間山の山頂の真下から登るのです。
そして浅間山から見て、冬至の太陽は富士山山頂の真下に沈み、その方位線上に武蔵国国造が祀られているという「坪宮(つぼのみや)」という小さな小さな謎に満ちた社があるのです。
▼坪宮
2009062坪の宮.jpg

「坪宮(つぼのみや)」は大国魂神社本殿の真西の崖下(府中崖線下)にあります。
大国魂神社の境外末社ですが、大国魂神社の例大祭「くらやみ祭り」でお神輿が賑やかに繰り出されるころ、神官が密かに坪宮に詣り、例大祭が執り行われることの報告をするという重要な宮です。しかし坪という名のとおり、あまりにも小さくて、その所在はほとんど知られていないお宮です。
「坪宮」は東を向いたお宮で、まっすぐ大国魂神社本殿に向いています。
その延長線上には、府中の古い神社やお寺がいくつか並び、深大寺の深沙大王堂あたりに到達します。

そして、「真姿の池」と「武蔵国分寺七重の塔」と、この「坪宮」は、正南北に一直線に並んでいます。
その南北ラインをさらに南に伸ばすと、多摩丘陵の一番高い地点付近に到達します。
深大寺の深沙大王堂から見ると、多摩丘陵の最高部の真下に冬至の太陽が沈みます。

古代から、神社仏閣など聖域として祀られてきた場所というのは、こういう位置関係が成立する場所が特に選ばれて、特別な聖域とみなされてきたのでしょうね。そして、こうした古刹には必ずと言っていいほど湧き水がくっついています。武蔵国の国造や国府は、こうした位置関係の中心に置かれたのではないでしょうか。
奈良の三輪山を中心とした、いわゆる「レイライン」が有名ですが、同じようなものが、この武蔵国の多摩川流域にもあるのです。

さて、浅間山の富士見ポイントからは、富士山の手前に府中の市街地が広がっています。

南は多摩丘陵まで見渡せます。
090321-05前山から多摩丘陵方面.JPG

北西から北側には国分寺崖線の連なりが見通せます。
▼前山から真姿の池方面を望む
090321-04前山から真姿方面.JPG

▼堂山山頂からも真姿の池方面が見渡せる
090321-12堂山山頂から真姿方面.JPG

この浅間山が古代の測量の拠点になっていたことは間違いないだろうと感じます。
別名、人見山。なるほど、よく言ったものです。
▼人見の地名について
090321-06人見の地名.JPG

▼人見山(浅間山)絵図.
090321-08人見山絵図.JPG

▼明治初期の地名
090321-07明治初期の地名.JPG

ちなみに、浅間山のすぐ西側は、航空自衛隊の基地と、航空自衛隊航空総隊司令部があって、高い塔だの、巨大なパラボラアンテナ(レ-ダ-?)みたいなモノモノしい物体が木立の間から見えました。ここは古代からずっと、そういう場所だったのでしょうかね。

古代の測量は鏡の反射を利用したのではないかと言われていますが、多摩丘陵の南斜面の連光寺から、浅川を越えた日野の南向き斜面に向かっても、冬至・夏至の日出・日没方位線に沿って神社仏閣が直線的に並んでいるのが見受けられます。
山の尾根付近に建っているものもあれば、谷間に建っているものもあって、鏡の反射がリレ-されていったのでしょうか。まさに連光寺、山間に光が連なった光景を想像してしまいます。

このテ-マは時間をかけて少しずつ、レポ-トして行きたいと思っています。
とりあえず、レイラインマップの骨組みを作ってみましたので、未完成ですがアップしておきます。

古多摩川が残した「水の聖地」を結ぶ冬至・夏至方位線ネットワ-ク
大きな地図で見る

別のウインドウで地図を見る:
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=117806467916842607597.0004656cac53b18675c6c&source=embed&ll=35.667896,139.471779&spn=0.097622,0.145912&z=12

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ちなみに、古街道研究家で歴史ルポライターの宮田太郎さんも、連光寺が古代の測量拠点だったという仮説をお持ちのようです。
http://www.tamalife.co.jp/02_event/2006012.html
武蔵野大展望!連光寺桜馬場道と天王の森・夕陽の丘の古道を歩く
多摩丘陵の連光寺という地名は吾妻鏡に記載されていますが、その名の寺は現在なく由来は不明です。素盞鳴尊を祭る天王の森・八坂神社は多摩市最高地点にあり、かつては新東京百景にも選ばれた景勝地。遠く狭山丘陵の八国山将軍塚の真南にあたり、双方で測量をして古代東山道武蔵路や古代東海道が造られたという仮説をお話します。


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