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▼国分寺崖線裾野の湧水を集めて流れる野川の最源流「真姿の池湧水群」の観測日誌 ▼ガイド・観察日誌・トピックス・インフォ→構成は「サイトマップ」「真姿の泉TODAY index」参照

深大寺の水の風景(2009年9月21日) [[トピックス-2]多摩川が残した水の風景]

深大寺を訪れたはっきりとした記憶があるのは、40数年前の真夏、まだ小学生のころで、その後もおそらく1~2度訪れているのだとは思うが、40数年前の記憶が強烈なのは、湧き水があまりにも冷たかったからだ。
裸足になって水路に足をひたすと、脳天まで痺れるほどの冷たさだった。

その後、水路は蓋がされて暗渠になっていた時代があったと聞く。今回訪れてみると、水路が復活していたが、昔の水路はもっと浅くて狭かったような気がする。
真姿の池湧水も、現在は脳天が痺れるほどの冷たさはない。40年前よりは、湧水の温度が2度ばかり上がっているようで、今回も水路に手を入れてみると、真姿の池湧水と同じような温度で、さほど冷たさは感じなかった。

今回深大寺を訪れた一番の目的は、深沙大王堂とその裏手の湧水地を見ること、そして深大寺東側の青渭(あおい)神社がどのような神社なのかを見ること、そして周辺の谷戸の入り組んだ地形を実感することだった。

三鷹から深大寺行きの小田急バスに乗り、深大寺入り口で下車。
深大寺境内の一番西側の深沙大王堂から順に東へと見てゆくことにしたが、まずは境内で見つけた3種類の絵地図を載せておこう。地図コレクターの私は、こういうものが興味深い。

■境内の絵地図
▼こういう地形の高低が表現されている地図はありがたい。
090921-01深大寺絵地図-1.JPG

▼絵地図の横にあった年表。
浮岳山深大寺、開山は天平5年(733年)だというから、官寺だった武蔵国分寺よりも古い。もちろん、それよりはるか以前の太古から、この場所は聖地とみなされていたに違いないが。
090921-02深大寺絵地図-1年表.JPG

090921-03深大寺絵地図-2.JPG

090921-04深大寺絵地図-3.JPG

■西側エリア 深沙大王堂付近
▼深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)
深大寺の寺名は、湧水の豊富なこの地に祀られていた水神の深沙大王(じんじゃだいおう)にちなむ。
深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)は、深大寺の西端域(本堂などのある寺地の中心より西に一町約120mほど離れたところ)に建つ境内社で、水神を祀る鎮守社(ちんじゅしゃ)。堂の背後には、この地の水源であり、深大寺の発祥にかかわる泉がある。
明治の神仏分離の際に旧堂は破却されたが、1968(昭和43)年に現在の大王堂が再建され、宮殿(くうでん)は本尊の深沙大王像とともに元三(がんざん)大師堂から旧地に復した。
深大寺の寺名の由来である深沙大王(深沙大将)は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が天竺(てんじく)へ赴く途中、流沙の中に現れて玄奘を守護したといわれ、多聞天(たもんてん)の化身とされている。図像として描かれることはあるが、彫刻の遺品は少ない。
深大寺の寺号はこれに由来し、今、深沙堂に祀られる像は、高さ57㎝ほど、どくろの胸飾りをつけ、象皮の袴をはいて盆怒(ふんぬ)の形相すさまじい鎌倉時代の優作だが、秘仏として、長いあいだ拝されたことがなく、今も厳重な秘仏であることに変わりはない。
090921-05深沙大王堂.JPG

▼深沙大王堂内宮殿解説
090921-06深沙大王堂内宮殿解説.JPG

▼深沙大王堂裏の湧水地(水源の方向を望む)
崖(国分寺崖線)の裾から湧出している。湧出している箇所は確認できなかったが、池の東側から湧出して西側に流れ、先で流れが東方向にかわるらしい。それで「さかさ川」という名がついているらしいのだが、この深沙大王堂裏の湧水地が「さかさ川」の水源となっている。石仏は不動明王。
090921-07深沙大王堂裏の湧水池-1.JPG

▼深沙大王堂裏の湧水地(下流側)
090921-08深沙大王堂裏の湧水池-2.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が深沙大王堂と裏の湧水地付近
ちょうど標高50あたりの崖裾から湧出していることがわかる。
深大寺付近の地形図-深沙大王堂.GIF

■中央エリア 本堂・元三大師堂付近
▼亀島弁財天池
090921-09深大寺亀島弁財天池.JPG

▼山門脇の滝(不動の滝)
深大寺はかつては豊かな湧水で滝行も行われていたというが、現在、この不動の滝は補水をしているとか。
090921-10深大寺山門横の滝.JPG

▼山門
090921-11深大寺山門.JPG

▼本堂
深大寺:天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺。浮岳とは、遥か遠く山が浮かんで見える様。天平5年(733)、満功(まんくう)上人による創建と伝えられ、武蔵野では最も古い寺。境内のいたるところに水路や池があり、水に囲まれた名刹。
本堂は大正8年に再建、平成15年に改修。本尊は阿弥陀如来。
090921-12深大寺本堂.JPG

▼深大寺の由来~縁結びの寺~
深大寺という名は,水神の深沙大王に由来しており,奈良時代,天平5年(733)に満功上人が開山したといわれています。深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると,満功上人の父福満とある豪族の美しい娘が恋に落ちましたが,娘の両親の反対にあい二人は仲をさかれ,娘は湖の小島に隔離されてしまいました。そこで,福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて行きました。このことを知って娘の両親も二人の仲を許し,そして生まれたのが満功上人です。上人は父の深沙大王を祀ってほしいという願いによって出家し法相宗を学び,733年に寺を建てました。それが,深大寺であると縁起は伝えています。そんな「深大寺縁起」のロマンチックな恋物語により,深大寺は縁結びの寺としても有名になっています。
(参考:谷玄昭「住職がつづるとっておき深大寺物語」)

▼なんじゃもんじゃの木
その地方に珍しい樹種や巨木のことを指して、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるのだそう。深大寺のなんじゃもんじゃの木はヒトツバタゴ(モクセイ科)。
090921-13なんじゃもんじゃの木.JPG

▼井戸が手水舎になっている
090921-14井戸.JPG

▼五大尊池
本堂と、隣の元三大師堂の間に池があり、お堂の裏に迫っている崖肌の上から音をたてて滝が流れ落ちている。崖の上から水が湧くはずはないので、滝はおそらく人工的にポンプアップしたものだろう。
池に直接湧出しているのかどうかは不明。
090921-15五大尊池.JPG

▼元三大師堂
慈恵大師像(慈恵大師の自刻といわれる)が安置されている。
090921-16深大寺元三大師堂.JPG

▼元三大師堂前の石仏
これはいったい何?悪魔のキャラクターみたいで、なぜこんなものがこんなところに?
調べてみると、元三大師降魔札(玄関の内側に張って厄除けをする)の絵柄だそう。つまり、元三大師(慈恵大師)そのもの、ということ。
慈恵大師は永観3年(985)の正月三日に遷化されたので元三大師と呼ばれ、「慈恵」の諡号(しごう)を賜わったのだとか。
数々の霊験や説話が残されており、降魔大師・魔除大師・角大師・豆大師など霊験ある聖者・元三大師として信仰を集めている。角大師は厄災を降伏させる恐ろしい形相の護符である。 また、豆大師は小さな大師の姿が豆粒のように9段33個並べられているお札である。
疫病が流行していた永観2(984)年、元三大師は鏡の前で座禅をし、自らの姿を骨ばかりの鬼に変え、その姿を写した弟子の絵を、お札に刷って家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させた、という。
自ら鬼となって魔物と闘うので、降魔大師の名がある。「おみくじ」を最初に考案した人でもある。
090921-17深大寺元三大師堂前の石仏.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が本堂、元三大師堂付近
深大寺付近の地形図-本堂と元三大師堂.GIF

▼開山堂(崖上)
元三大師堂裏の崖の真上に位置する。本堂と元三大師堂の間の滝を確認したくてあがってみた。滝自体は見えなかったが、開山堂のそばの崖のふちに水道のバルブなどがあったので、滝はやはりポンプアップしているもののようだ。
090921-18開山堂.JPG

■東側エリア 不動堂・多聞院坂・青渭神社
▼不動堂東側の滝
090921-19不動堂.JPG

▼多聞院坂
090921-20多聞坂.JPG

▼多聞院坂をあがって右手に折れるとゆるやかな下り坂。坂沿いの左手が青渭神社だ。
境内にはいると、まず大ケヤキに驚かされる。
090921-21青渭神社の大ケヤキ.JPG

▼青渭神社の大ケヤキ解説
090921-22青渭神社の大ケヤキ解説.JPG

▼青渭神社の石の鳥居
階段を上がったところに社がある。
090921-23青渭神社鳥居.JPG

▼鳥居の中央に龍の彫刻
090921-24青渭神社鳥居-2.JPG

▼手水舎
手水舎を4人の力持ちが担ぎ上げている。
090921-25青渭神社手水舎-1.JPG

090921-26青渭神社手水舎-2.JPG

▼青渭神社由緒
社の裏に湧水があるのではないかと思ったが、崖になっているわけではなく、湧水の湧く地形ではない。どこかに必ず湧水地があるはずだと思いながら由緒を読むと、かつては社の前に5町歩あまりの境内地があり、湧水がこんこんと湧いていたという。道路を挟んだ東側は都立農業高校神代農場となっており、柵越しに中をのぞいてみると、深い谷戸になっていた。地形図で見ると、東から南にまわるように谷戸が伸びている。
090921-27青渭神社由緒.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が青渭神社・都立農業高校神代農場
深大寺付近の地形図-青渭神社.GIF

■南側エリア 水生植物園(神代植物園分園)
▼水生植物園にはいると、目の前に谷戸が開けた。
右側(東側)のこんもりした森は独立した丘になっており、深大寺城跡だそうだ。
090921-28水生植物園-1.JPG

▼谷戸地形全体が湿地帯になっている。
090921-29水生植物園-2.JPG

090921-30水生植物園-3.JPG

▼地形図:黄色くマ-クした箇所が水生植物園付近
深大寺付近の地形図-水生植物園.GIF

▼白い彼岸花
090921-31水生植物園白い彼岸花.JPG

▼彼岸花が群生している
090921-32水生植物園彼岸花.JPG

▼睡蓮が一輪だけ咲いていた
090921-33水生植物園睡蓮.JPG
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